<当ブログは、ヘイトスピーチ規制法案に反対します>フリーのライター・編集者 として取材活動、国民運動として教育正常化、TPPなど経済政策、労働政策などに取り組み、情報公開請求や国会陳情など議員・行政対策に重点を置いています。皆様より取材、運動推進のためにご支援をいただければ、幸いです。仕事の依頼など連絡先・支援先の詳細はプロフィールをご覧ください。
 新宮松比古元福岡県議会議長のご逝去
2016年03月16日 (水) | 編集 |
広島にいるときにネット版のニュースで新宮松比古先生のご逝去の報に接しました。

「支えなくした」悼む声 新宮元福岡県議会議長死去 ・西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/231150



新宮先生は、福岡県議会議長、自民党福岡県連会長も務められ、博多の伝統芸能や文化の伝承・振興に力を注がれました。自民党のみならず、福岡県政に強い影響を与えておられました。県議引退後は、アクロス福岡に入居する福岡県の外郭団体の理事長をされ、時々アクロス福岡でお見かけしてました。

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初めてお会いしたのは、福岡県筑前町でいじめ自殺事件が起きたときに、初めて教育の正常化を求める陳情書を県議会に出しましたが、当時、文教委員会におられた新宮先生がそれを取り上げて下さったときでした。文教委員会を傍聴してましたが、教育正常化の陳情があっただろとご指摘され、委員会室がぴりっとしました。



平成18年12月15日 文教委員会
◯新宮松比古委員 資料要求して休憩してやるのか委員長。それから、ちょっと私が委員長、副委員長にお願いしたいのが、今日は調査委員会の中間報告ですね。私はこれ、最終報告が直ちに出るだろうと私は思っています。そうしますと、自殺があったのが十月十一日、その次の委員会、十一月十六日まで我々は委員会をしていない。だから、最終報告があった時点で直ちに委員長、副委員長で委員会、この常任委員会を開催してほしい。今、佐藤委員の資料要求しかり、私どももいろいろな最終報告に対しての質疑もしたい。あるいは先ほどの陳情がありましたね、何かあったやろう。

◯亀谷 正委員長 教育の正常化を求める陳情ですね。

◯新宮松比古委員 陳情の理由なんかをずっと読んでいると、委員会で論議したやつもあった、あるいは当然これはしなくちゃいけない今後の論議だなという考え方もここに網羅されているような感じもするし、しかも再発防止策については、やはり直ちにやらなくちゃいけないのに、何となく調査委員会の最終報告書ができてやろうとしている感じもなきにしもあらず。だから、教育長なんか先ほどの答弁を聞いていると、第三者の有識者の会議をしたいと、こう言われていましたが、いろんなことを想定して、やはり教育委員会も直ちに再発防止案をつくってほしいし、最終報告が出れば直ちに委員会をしてほしい、そのように思います。

委員会後、駆け寄ってご挨拶しました。

忘れられないです。議事録にしっかり残ってます。

年が明けて1月の委員会で人権同和教育課長がおしかりを受けるわけですが・・・

◯新宮松比古委員 さっき、私だけが理解できなかったのかもしれませんが、この問題で人権の問題はどうだったのかという質問をだれかしましたよね、清田さんか、そのときに全然なかったという趣旨の答弁だったのか。もう一度、先ほどの意味が私は理解しづらかったから答えてもらえませんか。

◯新宮松比古委員 同和関係もさることながら、基本的な子供の人権を侵された、子供が生きていく勇気すら失った、まさに人権が侵されて自殺が起こったんじゃないか。

◯荒巻人権・同和教育課長 人権教育の視点から言いますと、今回の三輪の問題につきましては重大な基本的人権の侵害であると、そのように認識いたしております。

◯新宮松比古委員 僕はそうだと思うよ。これは基本的人権問題なんよ。何か同和教育がすべての人権教育であって、人権教育でなかったような先ほどの答弁は僕はいかがなものかと思う。だから、どうも皆さん方のとらえ方が何か本質をどこかとらえてないんじゃないかと、ぽんと話が飛んでしまうけれども、僕は学校五日制に反対しました、ずっと反対し続けてきた。昨年、このいじめによる自殺問題と、教科未履修の問題も出てきた。学校五日制のときにも、それだけ地域社会は準備がないと、教育長なんかは覚えてあると思いますが、準備がありませんよと。学校と家庭と地域と一体となってゆとり教育をしていかないといかんと、文章だけをきれいに羅列されたけれども、これでは、私は逆に今の社会情勢の中では、学校五日制にしたら逆行した形でゆとりがなくなっていくんじゃないかという考えを僕は述べた記憶がありますよ。
我々議員も文教に携わっておれば、教育長を初め教育委員会の皆さん方もやっぱり恥ずかしいという気持ちで、二度と自殺を起こすような子供を出さないためにはどうするかという問題を真剣にやってもらいたいですよね。でないと、先ほど課長が言ったような、同和教育はぴしっとして、その問題の延長戦にはありませんから人権の問題ではありませんなんて、とんでもない答弁だと思う。一つ一つこれを見てごらん。実際、何を本当に真剣に取り組んできたか。最終報告の中にもいろんなことがあるよ。

*引用終わり

知られざるエピソードです。ゆとり教育に反対しておられたのです。

本当の意味で、地方議員、政治家らしい方を失いました。心よりご冥福をお祈りする次第です。
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 「訃報」小柳陽太郎先生がご逝去されました
2015年12月01日 (火) | 編集 |
11月28日に、国民文化研究会の合宿教室などでご指導いただいておりました元福岡県立修猷館高校教諭で、九州造形短期大学教授、国民文化研究会副理事長などを務められた小柳陽太郎先生がご逝去されました。

ご入院されておられたことは人づてに聞いていましたが、あまりにショックでしばらく呆然としました。

御通夜に参列させていただき、昨日の告別式には参加できませんでしたが、日曜の夜にもかかわらず、全国から駆けつけた多くの方が列席されておられ、改めて先生のご親交の深さ、広がりを感じさせていただきました。

学生時代、国民文化研究会などでご指導いただいた日々を思い出しています。


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学生時代に、阿蘇や江田島などで開催された国民文化研究会の合宿教室では、学生班の班別討論に、小柳先生がお見えになると緊張して言葉が発せないそういうこともたびたびでした。拙い和歌の添削もしていただき、「こう直してはどうですか?」と、先生が私が詠んだ気持ちに沿った歌に直していただくこともしばしばありました。

また、軽々に政治の批判などを口にすると厳しいおしかりの言葉もいただきました。

私も、先輩の薦めで合宿教室に参加させていただき、社会人も含めた国民文化懇話会の例会にも顔を出しておりました。しばらく会もご無沙汰しており、保守がおかしくなりつつあることに危機感を感じて学びを再開しようと考えていました。今年の夏に合宿教室に参加していたメンバーで、博多駅前の福岡事務所近くに集まり、学習会をやろうと話し合った矢先でした。

小柳先生は、戦時中、学徒出陣で出征し、多くの友を亡くされ、戦後は九州帝国大学において、国文学を学ばれ、長く、修猷館高校の国語科教師として多くの学生を各界に送り出されました。退職後も、国民文化研究会の合宿などを通じて多くの若者を育ててこられました。

また、福岡県の教育正常化は、小柳先生のご存在ぬきにはありませんでした。昭和30年代に日教組の勤務評定反対闘争に端を発して、福岡県教職員連盟、福岡県教師会、そして福岡県民教育協議会と、福岡県高等学校新教職員組合(新高教組、現在の福岡教育連盟)と継承されましたが、そのなかで小柳先生は、あくまで労働者ではなく教育者としての道を求道されました。

私たちが、県民運動、国民運動として教育正常化を掲げ続けるのは、おこがましいことながら、小柳先生の道統に連なりたいという思いからでもあります。それは日教組批判にとどまらないものです。

ただ、いまもって悔いるのは、福岡市に就職を機に転居して4年。先生を囲んでの勉強会が行われていることを知りながら、とうとう一度も参加することがなかったことです。悔やまれてならない。

ある方がいわれたが、小柳先生のご逝去は、福岡の、いや日本の保守にとって大きな分岐点になると思う。
厳しく真心をもって指導される師を失うとは、そういうことではないでしょうか。

私が、新自由主義的な政策に疑問を感じるのは、人の和合を大事にしてきたわが国の国柄とあまりにも矛盾した人間否定の論理がそこにはあるからです。もし、学生時代に、小柳先生から、学問姿勢や人とのつながりなどについて、学ばせていただいていなければ、人を人と見ない思想に染まっていたかもしれません。

心からご冥福をお祈りし、私もその立場、責任において先生のお志を継承する営みをしてまいります。

 松本龍元復興大臣のご母堂様の葬儀告別式に参列しました
2015年05月01日 (金) | 編集 |
昨日は、福岡市中央区内の葬祭場で執り行われました松本龍元復興大臣のご母堂様の告別式に参列してまいりました。

仕事で松本龍氏のご実弟の会社と関わりになるご縁もありました。訃報を知り、喪服に黒ネクタイを締めて参列させていただいた次第です。

会場は、かなり大勢の方がいらっしゃって、ようやく席に座ることが出来ましたが、立ちっぱなしの方も大勢いらっしゃいました。故人の交友関係の広さが感じられました。

式も簡素で、数多く寄せられた弔電は読まれず、祭壇に供えられていました。

お孫さんのおばあちゃんとの思い出を語ったお別れの言葉が涙を誘い、心に残りました。先日、父を亡くし、4年前に祖母を亡くした私に痛切に響いてきました。

松本龍氏が喪主で、遺族を代表して挨拶をされました。

焼香をして会場を辞するときに、ご遺族に一礼し、お顔を間近に拝見しましたが、じつの母を亡くされ従前のエネルギーが感じられなかったです。

「母はケセラセラ(なるようになるさ)が口癖でしたが、じつはそうできるようにしていたのだと思います」と肩を落としていた姿は、誰もが経験する親との別れとはいえ、母親の存在は大きかったのだと改めて思わされました。

自分の母親が亡くなることは考えたくはないですが、親とは大きな存在でかけがえのないものだと思います。

遺影を拝見してご遺族のお話しを拝聴して、お人柄が伝わりました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

 父が亡くなりました
2015年01月14日 (水) | 編集 |
1月11日午前2時15分に父が亡くなりました。ご多忙中にもかかわらず父の通夜および葬儀に、民主党の野田国義参議院議員や、前福岡県議会議員の江口義明先生はじめ多数の皆様からご会葬くださいました。

鬼木誠衆議院議員(自民党)、緒方寿光柳川市議会議員など自民・民主・公明の国・地方議員の方々、稲村公望中央大学客員教授(元八女郵便局長)、私が連載させていただいておりますフォーネットの発行人、松本靖朗様、月刊日本福岡支局長の浦辺登様はじめ多数弔電もいただきました。とくに野田国義議員は公務ご多忙の中で、ご参列いただき、代表焼香をしていただいております。

いま80歳まで生きるのが平均寿命で、定年制も70までしようとかいわれるなか、あまりに早く旅立ったことに、まだ現実を受け入れることができません。式では、人目もはばからず泣き崩れて、親族やご近所の方々など驚かれたと思います。でも、父との思い出が次々思い起こされてたまらなかったです。

胃がんの手術をしてからの6年余りの闘病生活は、あまり口にはしなかったけれど苦しくつらく、俺は明日まで生きるのか毎日、ベットの上で考えていたと思います。転移もあって入退院を繰り返し、抗がん剤治療を続けていました。「もう一度日本で開かれるオリンピックをみたい」といっていました。

家族を守るために、あまりいろんなことを語らず、年末、救急車で運ばれる少し前「病院には行きたくない」といっていたのは、もう再入院したら・・・とわかっていたのではないか。母にも「病院に泊まってくれ」といっていたのは、不安でしょうがなかったのではないかと。

3年前から就職を機に福岡市に転居して、たまにしか実家に帰っていませんでした。時々、私が書いているものを母を通じて送っていたので、闘病生活の中で丁寧に読んでいたとききました。父の部屋には何冊かの執筆雑誌がおいてありました。 通夜及び葬儀に、同じ町内の方々に受付やお茶くみなどお手伝いいただきましてありがとうございます。

改めまして国、国と言っても、やっぱり自分の家族や生まれ育った地域あってこそで、地域のつながりや出ごとは、都会的にいえば古臭い慣習と思うものかもしれませんが、絆をつなぐものではないか・・・と実感させて戴いた次第です。

火葬場に行く時、途中、実家の周りをまわっていっていただきました。農協経営の葬祭場の方も農家時代の父を知る方で、「すぐやけん、ご自宅に車を回します」といっていただいたのは本当にありがたかった。
地方をつぶすな、農協や郵便局を守るべきだという僕の考え方は間違いなく生まれ育った環境から来ています。市場論理や合理主義だけではないものがある。

しかし、政治のどうのこうの理屈よりも、今はお父さんと目の前で話ができないことが辛いですが、母を支えてまいりたいと思います。通夜及び、葬儀において取り込み中で、不行き届きの点も多々あったかと存じますが、なにとぞご容赦くださいますようお願いいたします。

【訃報】

月刊日本の副編集長の尾崎秀英氏が、一昨日お亡くなりになられたとのお知らせをいただきました。尾崎氏は一昨年、グランドアーク半蔵門で開催された叱咤激励する会で初めて面識を得、移転前の平河町の事務所で名刺交換をしました。

その後、入院され10ヶ月に及ぶ闘病生活を続けられた。

尾崎氏は左右問わず親交が厚い方でした。

本当に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。


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 【訃報】月刊日本の尾崎副編集長が亡くなられました
2015年01月07日 (水) | 編集 |
月刊日本の副編集長の尾崎秀英氏が昨日お亡くなりになられたとのお知らせをいただきました。尾崎氏は一昨年、グランドアーク半蔵門で開催された叱咤激励する会で初めて面識を得、移転前の平河町の事務所で名刺交換をしました。

その後、入院され10ヶ月に及ぶ闘病生活を続けられた。

尾崎氏は左右問わず親交が厚い方でした。

本当に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。


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