今朝の産経新聞社説の主張は全国紙で一番明快でした。
■【主張】竹島の日 固有の領土を銘記したい
二十二日は、島根県が条例で定めた初めての「竹島の日」だ。竹島が日本固有の領土であることを、県民のみならず、日本国民が忘れずに胸に刻む日としたい。
この日、松江市では「『竹島の日』の集い」「竹島を考えるフォーラム」などの啓発イベントが開かれるが、外務省の担当者や県選出の国会議員らは出席を見送った。韓国を刺激しないための配慮とみられる。地元の盛り上がりに比べ、政府のやや腰の引けた姿勢が気がかりである。昨春、「竹島の日」条例が制定されたとき、韓国側の反発は尋常ではなかった。
島根県と姉妹提携していた慶尚北道が同県との交流を中断したのをはじめ、他の自治体との姉妹提携も次々と中止や延期を通告された。韓国政府は、竹島を日本領とした教科書記述の削除まで求めてきた。今年は、一転して静観する意向のようだ。
韓国が竹島の国際問題化を恐れているからだといわれる。その一方で、竹島観光ツアーを解禁したり、韓国国会の国防委員会が竹島を視察するなど、着々と既成事実化を図っている。この韓国の静観ペースに日本が合わせていたのでは、竹島が日本に返ってくる日はますます遠のく。
韓国国会の視察に対し、日本はソウルの大使館を通じ、書記官が韓国側に電話で抗議しただけだが、もっと強い抗議の意思を示すべきだった。
竹島は島根県隠岐島の北西約百五十七キロに位置し、二島(東島と西島)と数十の岩礁から成る。江戸時代から日本の漁民が幕府から拝領し、実効支配してきた。付近は、サザエ、アワビなどの宝庫として知られる。
明治三十八(一九〇五)年、竹島を島根県の一部とする閣議決定が行われ、同県が竹島を所管する告示を出した日が二月二十二日だ。竹島は歴史的にも法的にも、まぎれもない日本領土なのである。
戦後、独立した韓国の李承晩政権は竹島を韓国領とする「李ライン」を一方的に設定した。これに対し、日本は何度も抗議し、国際司法裁判所に提訴することを提案したが、韓国はこれを拒否し、不法占拠を続けている。韓国が国際社会で重要な位置を占めるためにも、日本の提案に応じ、公正な第三者の判断を仰ぐべきである。
外務省と水産庁の担当者、県選出国会議員いずれも出席を見送ったそうですが、韓国に対する過剰な配慮ではないでしょうか。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20060218k0000e010048000c.html
韓国では多くの国民が独島(竹島)は韓国領と認識しているのに、わが国では「竹島?どこそれ?」という人はまだまだ多いです。学校教育でも竹島はおろか北方領土すら日本の領土だときちんと教えていないため、国家主権や領土に対する観念が非常に希薄です。
竹島について日本は国際法上も適法な固有の領土であるとして、島根県隠岐郡隠岐の島町に属させていますが、韓国、北朝鮮側では獨島(독도、独島、トクト/ドクト,Dokdo)と呼んでいます。
なお、韓国側の行政区画としては、慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里に編入されており、実質的には海洋警察庁を傘下にもつ大韓民国海洋水産部の管理下に置かれています。
★参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)
わが国外務省のホームページでは竹島について以下のように整理し、見解を出しています。
(1) 竹島領有に関する歴史的な事実
以下のような歴史的事実に照らして、我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的支配に基づき竹島の領有権を確立していたと考えられ、1905年(明治38年)以降も、閣議決定に基づいて近代国家として竹島を領有する意志を再確認した上で、同島を実効的に支配してきた。
(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地(ヨチ)路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)
(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。
(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。
(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。
(2) 1905年の日本政府による竹島編入の有効性
1905年(明治38年)の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、日本政府が近代国家として竹島を領有する意志を再確認したものであり、それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではなく、また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではないなど、有効に実施されたものである。
(注:領土編入措置を外国政府に通告することは国際法上の義務ではない。)
(3) 日本占領及び戦後処理のための諸文書の中での竹島の扱い
対日平和条約前の一連の措置(1946年1月29日付連合軍総司令部覚書第677号が、日本が竹島に対して政治上又は行政上の権力を行使すること及び行使しようと企てることを暫定的に停止したこと、及び、1946年6月22日付連合軍総司令部覚書第1033号が、日本漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインの設置にあたり、竹島をその線の外においたこと)に関する文書は、いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である。また、もとより我が国固有の領土である竹島は、1943年のカイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」の「暴力及び貧欲により略取した」地域には当たらない。
(注1:1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていないことは、米国記録公開文書等で明らかである。)
(注2:1954年(昭和29年)9月、我が国は本件問題につき国際司法裁判所に提訴することを提案したが、韓国側は右提案を拒否。なお、日韓両国間では国交正常化の際に「紛争の解決に関する交換公文」を締結。)
韓国側の主張は日本語で読めるわが独島をご覧いただきたいと思います。
http://old.dokdo.go.kr/japanese/html/territory/info_district.html
ところで、フィオリーナの以心伝心さんが呼びかけをされている竹島プロジェクトに当ブログも参加していますが、韓国のマスコミがその動きを問題しているようです。
http://kuki1.stoo.com/news/html/000/470/798.html

なめ猫♪にも以前、呉善花先生の講演について記事にしたらハングルのコメントがついたことがあります。
あちらもチェックしておられるようですが、こっちは粛々と思うところを主張していけばよいと思います。
わが国政府が韓国側の反発を恐れて島根県に責任を押し付けている状態はやはりおかしいと思います。主権国家として韓国とたとえ外交関係が一時的に悪化したとしても節を曲げてはいけません。
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