教育・人権問題を中心に政治、芸能、スポーツまで広く考えていきます
 社会的弱者と言う共同幻想に囚われる愚
2006年03月21日 (火) | 編集 |
 他のブログや掲示板でも取り上げられていますが、鳥取県の人権救済条例の廃止を求める活動を行っている有志たちが県議会に署名を提出しました。

 そのことについては読売新聞鳥取版と探偵ファイルが取り上げているので、そちらを読んでいただくとして、2ちゃんねるにやってくる書き込みで私を何とかして運動から外させようという目的からか執拗に個人攻撃的な書き込みを行う人がいます。

 匿名で書くのが卑怯といいつつ、私のことをあることないこと書き込んでくる行為に辟易しながらも反論してあげると、また調子に乗って長文の書き込みをしてきます。

 臣下ごっこをやってるんだそうです笑
 
 ごっこというところが幼稚さの演出をしたいということでしょうが、かえって自分の稚拙さを外に曝す結果になっています。

 そのなかで私は「弱者」だと規定して、早く目覚めなさいと女王の教室の真矢先生のようにしつこく誘いをかけてくるというパターンが繰り返されることに気がつきました。

 ここで思い出されたのが左派系やリベラル系の学者の主張です。

 たとえば社会学者の宮台真司氏は「排外主義的愛国主義者には低学歴か低所得が多い」と分析していますが、何をもって排外主義というのか、その言葉だけを見ると戦前の日本や北朝鮮のようなおどろおどろしいイメージが連想されます。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335

 読み手に与える印象操作は閉鎖的な島国根性に固執するといった類のものでしょう。

 トラックバックされていたあるブロガーは本人たち(保守派)はカッコいいと思っているのかもしれないが本当は「かっこ悪い」ことを気付かせようとしているのではという見方をしていました。

 なるほど、行動の動機をそこに求めるわけですね。こうした主張や運動に携わることがカッコいいからと自己実現の部分でしか捉えられない人たちにとってはそれしか考えられないわけです。

 しかし宮台氏がいう所得や学歴と思想傾向との関連性がどういうデータから導き出されるものか、第三者には分かりません。

 自分自身を社会的弱者と規定し、バックラッシュは自分の首を絞めることだと警告をしているのかもしれないけれど、人間はそう二分法で規定できるほど単純ではないと思います。

 差別―被差別の関係から物事を見ることも同様です。とかく人権擁護法案を通したい勢力は差別の歴史を強調し、泣いている人を速く救うべきというけれど、北朝鮮の人権状況に比較して日本での人権状況は劣悪という論理は理解しがたいです。

 一年365日差別を受けたと顔をしかめながら人間は生きているのでしょうか。

 わが国の長い歴史のなかで育まれた美徳を否定し、なんでも差別問題に結び付けて考える悪弊が、わが国を蝕んできていることに直感的に気がついた人々が増えてきていることが、数学者の藤原正彦氏の『国家の品格』が多くの人に読まれている証左であり、リベラル・左翼はこの事実をしっかり見なければいけないのではないだろうか。

怪しいIP
softbank220055044236.bbtec.net


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