2006年04月22日 (土) | 編集 |
青森県の地方紙「東奥日報」で青森市内の中学校で男女混合の着替えが行われていることを伝えています。
男女中生が同室着替え/青森9校
思春期の男の子と女の子が一つの教室で着替え?―。青森市内の中学校が男女を同室で着替えさせていることが波紋を広げている。きっかけは二十日付の本紙明鏡欄。市教委が同日、市内全二十一校に緊急で聞き取り調査した結果、九校が男女同室着替えを恒常的に行っている実態が分かった。学校側は着替え時間の制約、更衣室の狭さなどを理由に挙げる。一方、中学生の保護者は「やっぱりおかしいと思う」「空いている教室を使えばいいのに」と不満をあらわにする。
男女の同室着替えを長年行ってきたある中学校の教頭は「体育館の横に更衣室があるが、狭い。クラス全員で着替えに行った場合、無理がある」と施設面の問題を強調。さらに「休み時間では間に合わないなど時間の制約もある。急いで着替えなければということで、慣例化してしまったのではないか」と説明する。
これに対し、女子中学生の母親(40)は「まったく同じ時間帯に、しきりもない状態で着替えているようだ。コンピューター室でも何でも、空いている教室を使えばいいのに」と、学校側の臨機応変な対応を求める。
市教委は二十一日、調査結果をもとに、市内の中学校だけでなく小学校全五十四校にも男女別の着替えを実施するよう指導した。通知文書では、生徒の人間尊重の精神を養うため、男女平等や相互理解の指導に加え「男女の性差に配慮した指導も必要」と指摘した。
ソース
東奥日報 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0422/nto0422_2.asp
昨年の文部科学省が行った「男女の扱い等に関する調査」の結果をのいくつかの自治体から開示請求しましたが、着替えを男女一緒にというところは多いです。以前、筑後市議会で取り上げられた問題でも書きましたが、学校側の言い分は更衣室がないからといいますが、女子生徒は器用に着替えているとはいえ、やはり思春期ともなれば男女は別室で着替えるのが当たり前ではないでしょうか。
http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-66.html
異性への羞恥心が芽生える中学生に対して配慮がなさ過ぎるし、工夫して着替えざる得ない子供たちの気持ちを考えると、更衣室がなければ仕切りを行うよう改善を行うべきです。
ところがそうした教育をジェンダーフリーの影響であることを事実誤認だと批判する人たちがいます。
今月号の『正論』に編集部の小島新一氏が「やっぱり止まらない日教組のジェンダー・フリー教育」というレポートを書いておられます。これによると、今年の日教組の教育研究集会でも相変わらず従来どおりの路線を守ろうとする教員の発言が相次いだそうです。
ジェンダー教育について論議するのは「両性の自立と平等をめざす教育」分科会ですが、そのなかで北海道の小学校教員から五年生の短距離走について報告が行われています。
小島氏によると「クラス全員のタイムを男女別に表示する分布図をつくると、八〇−九〇%の子供が男女の別なく同じ範囲に入っていて、タイムの差は男女差よりも個人差によるものであることが分かる。だから一緒に走らせても女子に不公平ではない」という結論を導いたレポートの発表に対して、会場から「中学二年から三年で女性がおそらく遅くなっていく。そこにジェンダーがあるんじゃないかという話で、それが聞きたかったんですわ」と体力の男女差はなく、ジェンダーが女性を縛っているという質問まで行われているのです。
『正論』のレポートはココ↓
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2006/0605/ronbun2-1.html
男女平等という崇高な理念がいつの間にやら人権教育を名目にした特定イデオロギーの道具にされてしまって、子供たちの意識を蝕んでいます。
■子どもに忍び寄る魔の手「男女混合名簿」↓
http://www.fenet.or.jp/sb.cgi?eid=14
話は変わりますが、福岡県人権・同和教育研究協議会の季刊誌『Winds』(平成17年11月号)を読んでいたら、BookReview[わがまま書評]に木村涼子+小玉涼子共著『教育/家族をジェンダーを語れば』(現代書館)の書評が掲載されていました。

書評子は次のように書いています。
バッシングなるものは、ある種の匿名性を背景に暴力的ないたぶりが特定の対象に向けて行われることである。学会、もしくは学界のなかでジェンダーという用語について否定する議論もあまりお目にかからないのだが、一部の否定的イデオローグに乗せられたかたちで政治的な装いをして叩きまわる連中が湧いてくるのがバッシングというものだろう。
要は書評に名を借りた「ジェンダーバッシング」を批判する内容で、“政治的な装いをして叩きまわる連中が湧いてくるのがバッシング”との礼を失した書きように怒りを通り越して呆れました。しかし、こんな内容の書評が人権・同和教育の季刊誌に掲載され、現場に影響を与えるのだから看過できません。
書評子はこの本を四つ星★★★★評価で必読文献としていますが、「決して屈しないために、理論武装しようぜ!」と呼びかけています。
福岡県人権・同和教育研究協議会は県からの補助金を受けて運営されている民間教育研究団体です。ところが、実際には特定団体のイデオロギーを現場に持ち込み、教育の中立性を無視した運動理論を押し付けてきました。
福岡においては共産党のみが批判していますが、所詮同じ左翼でその枠組みを超えることはありません。ジェンダー問題では両者一致して進めているわけですから。
やはり保守側がこの問題の検証を進める必要があります。
この構造的な問題にメスを入れない限りは男女共同参画条例を修正したり、教員の服務を厳しくしても効果は上がりません。
来週、月曜に福岡高裁で共産党系団体が県同教への研修名目で派遣されていた高校教師が現場復帰後も県同教などへの出張を年間200回以上繰り返して職務専念義務違反を行ったとして訴えた裁判の控訴審が開かれます。
裁判の今後の成り行きはしっかり注視していきたいと思います。
↓教育現場からジェンダー論を排除すべきと思う方は

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男女中生が同室着替え/青森9校
思春期の男の子と女の子が一つの教室で着替え?―。青森市内の中学校が男女を同室で着替えさせていることが波紋を広げている。きっかけは二十日付の本紙明鏡欄。市教委が同日、市内全二十一校に緊急で聞き取り調査した結果、九校が男女同室着替えを恒常的に行っている実態が分かった。学校側は着替え時間の制約、更衣室の狭さなどを理由に挙げる。一方、中学生の保護者は「やっぱりおかしいと思う」「空いている教室を使えばいいのに」と不満をあらわにする。
男女の同室着替えを長年行ってきたある中学校の教頭は「体育館の横に更衣室があるが、狭い。クラス全員で着替えに行った場合、無理がある」と施設面の問題を強調。さらに「休み時間では間に合わないなど時間の制約もある。急いで着替えなければということで、慣例化してしまったのではないか」と説明する。
これに対し、女子中学生の母親(40)は「まったく同じ時間帯に、しきりもない状態で着替えているようだ。コンピューター室でも何でも、空いている教室を使えばいいのに」と、学校側の臨機応変な対応を求める。
市教委は二十一日、調査結果をもとに、市内の中学校だけでなく小学校全五十四校にも男女別の着替えを実施するよう指導した。通知文書では、生徒の人間尊重の精神を養うため、男女平等や相互理解の指導に加え「男女の性差に配慮した指導も必要」と指摘した。
ソース
東奥日報 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0422/nto0422_2.asp
昨年の文部科学省が行った「男女の扱い等に関する調査」の結果をのいくつかの自治体から開示請求しましたが、着替えを男女一緒にというところは多いです。以前、筑後市議会で取り上げられた問題でも書きましたが、学校側の言い分は更衣室がないからといいますが、女子生徒は器用に着替えているとはいえ、やはり思春期ともなれば男女は別室で着替えるのが当たり前ではないでしょうか。
http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-66.html
異性への羞恥心が芽生える中学生に対して配慮がなさ過ぎるし、工夫して着替えざる得ない子供たちの気持ちを考えると、更衣室がなければ仕切りを行うよう改善を行うべきです。
ところがそうした教育をジェンダーフリーの影響であることを事実誤認だと批判する人たちがいます。
今月号の『正論』に編集部の小島新一氏が「やっぱり止まらない日教組のジェンダー・フリー教育」というレポートを書いておられます。これによると、今年の日教組の教育研究集会でも相変わらず従来どおりの路線を守ろうとする教員の発言が相次いだそうです。
ジェンダー教育について論議するのは「両性の自立と平等をめざす教育」分科会ですが、そのなかで北海道の小学校教員から五年生の短距離走について報告が行われています。
小島氏によると「クラス全員のタイムを男女別に表示する分布図をつくると、八〇−九〇%の子供が男女の別なく同じ範囲に入っていて、タイムの差は男女差よりも個人差によるものであることが分かる。だから一緒に走らせても女子に不公平ではない」という結論を導いたレポートの発表に対して、会場から「中学二年から三年で女性がおそらく遅くなっていく。そこにジェンダーがあるんじゃないかという話で、それが聞きたかったんですわ」と体力の男女差はなく、ジェンダーが女性を縛っているという質問まで行われているのです。
『正論』のレポートはココ↓
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2006/0605/ronbun2-1.html
男女平等という崇高な理念がいつの間にやら人権教育を名目にした特定イデオロギーの道具にされてしまって、子供たちの意識を蝕んでいます。
■子どもに忍び寄る魔の手「男女混合名簿」↓
http://www.fenet.or.jp/sb.cgi?eid=14
話は変わりますが、福岡県人権・同和教育研究協議会の季刊誌『Winds』(平成17年11月号)を読んでいたら、BookReview[わがまま書評]に木村涼子+小玉涼子共著『教育/家族をジェンダーを語れば』(現代書館)の書評が掲載されていました。

書評子は次のように書いています。
バッシングなるものは、ある種の匿名性を背景に暴力的ないたぶりが特定の対象に向けて行われることである。学会、もしくは学界のなかでジェンダーという用語について否定する議論もあまりお目にかからないのだが、一部の否定的イデオローグに乗せられたかたちで政治的な装いをして叩きまわる連中が湧いてくるのがバッシングというものだろう。
要は書評に名を借りた「ジェンダーバッシング」を批判する内容で、“政治的な装いをして叩きまわる連中が湧いてくるのがバッシング”との礼を失した書きように怒りを通り越して呆れました。しかし、こんな内容の書評が人権・同和教育の季刊誌に掲載され、現場に影響を与えるのだから看過できません。
書評子はこの本を四つ星★★★★評価で必読文献としていますが、「決して屈しないために、理論武装しようぜ!」と呼びかけています。
福岡県人権・同和教育研究協議会は県からの補助金を受けて運営されている民間教育研究団体です。ところが、実際には特定団体のイデオロギーを現場に持ち込み、教育の中立性を無視した運動理論を押し付けてきました。
福岡においては共産党のみが批判していますが、所詮同じ左翼でその枠組みを超えることはありません。ジェンダー問題では両者一致して進めているわけですから。
やはり保守側がこの問題の検証を進める必要があります。
この構造的な問題にメスを入れない限りは男女共同参画条例を修正したり、教員の服務を厳しくしても効果は上がりません。
来週、月曜に福岡高裁で共産党系団体が県同教への研修名目で派遣されていた高校教師が現場復帰後も県同教などへの出張を年間200回以上繰り返して職務専念義務違反を行ったとして訴えた裁判の控訴審が開かれます。
裁判の今後の成り行きはしっかり注視していきたいと思います。
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