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 イランイラク戦争でトルコに救われた元会社員も参列~エルトゥールル号追悼式典
2010年06月05日 (土) | 編集 |
日本とトルコがなぜ良好な関係にあるのか、意外に知られていません。

明治時代のご縁が現代に生きているのです。

学校教育でこういう話を教えてほしいです。

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このエピソードはいくつか本などで紹介されているのでお読みください。

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/100604/wky1006040253003-n1.htm

エルトゥールル号追悼式典 イ・イ戦争時、トルコ機で救出された元会社員も参列

 和歌山県串本町で3日行われた「エルトゥールル号」遭難事故の犠牲者を慰霊する追悼式典には、25年前、イラン・イラク戦争の際にトルコ航空機でイラン国内から救出された東京都羽村市の元会社員、沼田凖一さん(68)の姿もあった。「助かったのは紀伊大島の人たちの献身的な救助活動のおかげ。感謝したい」。

 日産自動車の海外技術協力部に勤務しイラン市場を担当していた沼田さんは昭和60年2月末、技術指導のため約3カ月の予定でイランに出張していた。

 しかしイ・イ戦争の最中で、イラクのフセイン大統領は3月17日、48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃すると警告。沼田さんは「民間機でも撃墜すると聞き、脱出を試みようとしたが、外国の航空会社は自国の人を優先し搭乗できなかった」と振り返る。

 日本の民間機などによる救援がかなわなかったため、イランには多くの日本人が残された。タイムリミットが近づく中、トルコ政府は日本政府の要請に応え、航空機2機を派遣し、沼田さんら約200人の日本人を脱出させた。

 救出劇は「紀伊大島の島民によるエ号遭難の救助活動の恩返し」といわれた。沼田さんは「当時はただ助かったという気持ちしかなかった。最近このことを知り、串本の人たちには感謝してもしきれない」。

 4日のシンポジウム「テヘラン空港からの脱出」に、沼田さんはパネリストとして参加、町民に感謝の言葉を直接伝える。(井上亨)

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/wakayama/100603/wky1006031438000-n1.htm

寛仁さま、トルコ特命大使らが慰霊 エル吐ゥールル号沈没120年

 トルコ軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本町の紀伊大島沖で遭難してから今年で120年を迎え、島民の救助活動が縁で友好関係にある同町沖の遭難海域で3日、日本トルコ友好120周年事業として犠牲者を慰霊する洋上追悼式典が行われた。

 寛仁親王殿下、長女の彬子さまが出席され、トルコ共和国のセルメット・アタジャンル特命全権大使も参列。午前9時、海上自衛隊護衛艦「せとゆき」の艦上で黙祷(もくとう)の後、アタジャンル大使が「事故を思い出すたびに込み上げる悲しみの一方、悲劇が両国間に絶えることのない友情の礎となったことに心がなぐさめられる」などと追悼文を述べ、寛仁さまが献花された。

 午後には紀伊大島のエ号慰霊碑前でも陸上追悼式典が行われる。

 遭難120年の今年、外務省は「トルコにおける日本年」とし、トルコ国内で友好祝賀式典などを開催。寛仁さまは「日本年」の名誉総裁を務められている。

 親善使節として日本に派遣されたエ号は明治23年9月、帰国途中に沈没。550人以上が死亡したが、紀伊大島の漁師らが69人を助けた。この救助活動は日本とトルコの友好関係の原点となる出来事とされる。
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