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 保守系学生運動で学んだこと
2013年08月13日 (火) | 編集 |
ネット右翼をどう思うかと新聞社の記者や議員から尋ねられることがあります。私もブログを書いているので、その範疇に入ると思いますが、政治運動だけではなく、現在は、ひとつの情報発信手段として活用を続けています。

昨年の衆院選で西日本新聞から取材協力要請を受け、「現役」のネット右翼に取材したいということで、後輩の大学生を紹介して、ネット右翼について記事になりました。

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さて、私の言う政治運動は、選挙とか政党の活動ではなく、国民運動のことですが、組織内で外部と闘争をやった人間でないとできないとまではいいませんが、難しいと思います。

よく労働組合は悪くいわれますが、組織作りなどを学ぶには非常にいいと思います。一概に労組が選挙運動をやることをいけないとはいえません。

日教組や自治労が問題になるのは、公務員の政治的中立性との整合性が問題になります。会社員も政治・宗教について職場では中立性が求められるところはありますが、公務員の場合は、より厳格でなければいけないとは思います。

いずれにせよ、選挙運動や政治闘争で鍛えられる側面は、思想の右左問わず間違いなくあります。

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私は大学時代に学生運動、保守系の組織に数年いました。
組織の先輩には、自民党の国会議員になられた方もいます。

先輩や組織の中央書記局から公私にわたる指導を受け、座学から始まって、不器用ながら、仲間と深夜までアジトで立て看板やビラ作ったり、恥ずかしさを覚えながらチラシを大学構内で配ったりしていました。

学生のオルグ、勧誘もやりました。

街頭演説は、最初は何しゃべっていいかわからない。
大学4年生にもなると度胸もついてきて、うまいとはいえませんが、人前でそれなりの喋りができるようになりました。

合宿研修で、他大学の同世代と寝食共にするのでお互いに仲良くなったり、楽しい思い出もあります。

最初は、どこでもそうですが、人間的な付き合いから始まる。それを、早い段階で人間関係重視から思想へと転化させないといけない。

これは宗教団体も同じだと思います。

昔の先輩からお話を伺うと、学園紛争華やかりし頃は、左翼からいつやられるかわからないという緊張感もあったといいます。

そうすると組織から離れても、社会人になって環境が変化してもずっと体に記憶が残る。意識下にある。

部落解放同盟や統一教会というと、ぴんぴーんと反応します。

学生時代に、広島で教育正常化のビラまきもしました。

九大の学生を応援に行っていたときは、今はURの管理地で、いずれ裁判所などが移転してきますが、平成14、5年ごろは、まだ六本松キャンパス(教養部)があって、左翼や原理研究会(統一教会の学生組織)がビラまいたりしていました。彼らが我々のビラまきに文句つけてきたり、教室で講演会のアピールをしたら、右翼出ていけといわれるなどバトルがありました。

そういう体験があるので、ネットのなんとかとかいうサイトに書いてあるとか、ニュースになった、そういう以前に、直感が働く、敏感に反応します。たとえば公文書や資料を見たとき、これはちょっとおかしいんじゃないか、とか判断がつきます。

戦うためには相手を知らないといけない。
そこで情報の重要性を認識しました。

いろいろな立場の方、その道のプロに会いにでかけました。今思うと汗顔の限りです。世間知らずの20代の若造だからできたことですが、記者になってからもそのつながりは非常に役立ちました。

ところが、ネットから入ってきた人は、いきなりデモ行進や街宣に行きたがる。自分の感覚からすると途中の段階がない。

学習より行動だというのです。
それは半分は正しいのですが、確固たる基礎がないと、うまくいかなくなったときに対応できなくなります。

燃え上がる時は、勢いよく取り組みますが、しばらくして冷めたら、いつの間にかいなくなる。がっかりします。真剣に活動やってる人間は。割り切らないとやっていけませんが。最近では、しょうがないなとしか思わなくなりました。私自身、以前と違い活動に専念しているわけではありません。

国民運動は、給与を支払っているわけではないから、強制力はありません。それぞれの生活があるので、戦いを無理強いできません。だから、継続するのは非常に難しい。

政治家や官僚になったり、それぞれの立場で、舞台を変えても続ける人たちもいるので、国の危機に見舞われても辛うじて守られているのではないでしょうか。
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