<当ブログは、ヘイトスピーチ規制法案に反対します>フリーのライター・編集者 として取材活動、国民運動として教育正常化、TPPなど経済政策、労働政策などに取り組み、情報公開請求や国会陳情など議員・行政対策に重点を置いています。皆様より取材、運動推進のためにご支援をいただければ、幸いです。仕事の依頼など連絡先・支援先の詳細はプロフィールをご覧ください。
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 SNS保守の台頭と旧態依然とした価値観
2014年08月08日 (金) | 編集 |
最近、ネットを媒介して入ってくる人がいわゆる保守(いわゆるというのは、藤井先生の受け売りの言い方になりますが)に非常に多い。

そしてそのなかで、ハッキリ言えば好き嫌いレベルの批判の応酬が少なくないことを目撃していて、SNS(ソーシャルネットワーク)の出現以前はどうだったか振り返ってみようと、過去の資料やらあさっていました。

おりしもフライデーが日本会議を取り上げていて、それも読んでみました。

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私が保守系運動の門をたたいたのは平成10年で、ちょうど15年になります。月刊正論を読むようになったのもほぼ同時期。時の政権は、橋本龍太郎から小渕恵三へとかわるときで、橋本政権の末期、社民党が閣外協力の解消をしたときでもあります。その前年、1997年を境にしてデフレに突入していく。

天皇陛下のご即位10年の奉祝運動が行われていた時期で、事務局をしていた日本会議に電話だかファックスを送ったかそういうところからご縁ができていった。そのときからのかかわりの方はフェイスブック上でもいらっしゃるので、長いなと思います。広島の教育が大問題になった時期でもあり、そのあたりから保守的な言論が広がりを見せていったように感じています。もちろんすでにその時期社会の一線にたっておられた方々から見るとまた違うのかもしれません。

福岡の県立高校を卒業しましたが、福岡県は、日教組と県教委の長い対立の歴史があり、その闘争が正常化された時期に在学していました。在籍した学校は日教組系が多く、正常化側は少数派でしたが、そのなかのお一人は今、管理職として頑張っておられます。

非常に影響を強く受けた方で、月刊致知に連載されている中村学園大学教授の占部賢志先生、(当時は筑紫高校にいらっしゃいました)を知ったのは、高校生のときだから、ほぼ現在進行形です。自由主義史観研究会の近現代史の授業改革という雑誌などに精力的に発表されていて、内容も理解できないのに夢中になって読んでいました。ある機会をいただいてお会いしました。国民文化研究会の合宿教室に参加していくのは、大学進学後のことです。

占部先生の出版記念パーティーで、代表して感想の発表をさせていただいたこともありました。

福岡が他の都道府県と異なるのは、明確な教育正常化路線の組合が力を持っていることでしょう。もっとも義務制は日教組優位で、人権教育などが学力向上や道徳規範よりも重視される傾向は強いです。

ただ、気になるのは県教委は、日教組系・正常化側両組合(教職員団体)いずれにもかつてほど真摯に向き合わなくなっているのではないかということです。新しい問題意識です。これはまたの機会に書きたいと思います。

インターネットの登場と普及は、その保守的言論が広がる時期と重なり、今とは通信速度が格段に劣るなかで、まだ珍しかったホームページをみて、学校で教えられてきた価値(戦後教育的)とは違う主張の存在を認識していきました。とくに、産経新聞の存在は驚きでした。

小林よしのりの戦争論やゴーマニズム宣言も大きな影響を受けた一人で、つくる会以外のJC(青年会議所)や神社庁関係の講演会にも、おっかけのように参加していました。

森政権を経て、小泉政権となり、そのあたりから怪しい方向へと向かっていったように感じています。郵政民営化と刺客選挙には強い危機感を抱きました。ブログを書き出したのは平成16年、2004年からで、人権擁護法案やジェンダーフリーのことなどをあれこれと取り上げています。その頃からアメリカ型社会に日本が追従することへの危惧をもっていました。あるサブカル雑誌にも取り上げられ、全国的に知名度があがっていきました。

ブログ全盛の時期からmixi、そしてフェイスブックに行くまで少し時間がありましたが、いわゆる保守業界、とあえて呼べばいいのか、そこに関わってくる人の質がだんだん下がってきたのを感じたのもSNS普及と共にです。

2ちゃんねるで呼びかけて、人権擁護法案反対のオフ会をやるとか、靖国神社参拝をするとかそういう動きは、SNS普及前は盛んで、時々上京してはそうしたイベントにも参加していました。池袋での飲み会とか懐かしく思います。まだ当時は20代で、明け方まで飲んでも平気でしたが・・・

さて、先日、西田さんという方が、長尾たかし前議員などいろんな人を名指しして、叩き潰すというようなことを書いて問題になりましたが、その当の本人も今振り返った時期にはどこかですれ違ったという記憶はありません。私のことも出てきたので、会としても見解を出しています。そのほか名指しされていた方々で、まだ年齢的に若い純民間人の方はたしかに小泉政権時のあたりなどはどうだったんだろうとは思いましたが、何かのきっかけで政治的なことに目覚めることはあるので、あり方に対しては批判的に見ながらも、潰すということまでは考えられないなという感想でした。

他人をあれこれ名指ししたりしていて、いざ自分に矛先が向くと、いつの間にかいなくなる人は多く、活動にその後来なくなるケースは結構見てきました。人権擁護法案に反対する運動をしていたときからの仲間で残っているのは、ごくごく少数です。

その時々のテーマ、問題意識に基づいて粘り強く続けていく人が非常に少ないと感じています。人権擁護法案や最近の新自由主義の問題は、新しい課題で、靖国神社や日の丸君が代と比べると、若い世代の関心を強くひきつけてきたことは間違いないだろうと思います。

奇妙に感じるのが、保守という言葉を嫌ってか、私は自分を保守とは思っていないとかわざわざ説明をしている人がいて、左派系との違いを示す程度のものでしかなくなっていることに、日本人として当たり前を言っているのだとか、それはそのとおりですが、誰に向けて弁明しているのかと思うことを書いていることに失笑することがあります。

学者でもないわけだから、そんなことにこだわる必要もないと思っています。
インターネットの弊害なのか、別に実生活的にどうでもいい知識が増えていって、SNS上の付き合いのしがらみまで増えて、疲弊することのほうが問題ではないか。仕事(ビジネス)や生活の充実に生かせればいいのですが、たいして役立ちもしないわけで、なぜこんなことにこだわるのかと覚めた目で見ているときがあります。

関わりだしてからずっと続けているのは、いろんな立場の人に会いに行き、政治に限らない本や雑誌を読んで考えることです。ひとつの事象に拘泥するといいことがありません。

運動団体と距離を置いてから3年が経過しましたが、現実を見ながらの動きに変わり、精神健康上も非常にいいです。労働の対価、報酬をもらうわけでもないのに、取り組んでいてこき使われて、その上人間関係で疲弊するとかこんな馬鹿らしい話はありません。「勉強会にこんと社会がわからんぞ」などといっていた方もおられましたが、実際そんな時間は使えません。労働契約上の話ならば、休日出勤などもある程度はやむをえないでしょう。しかし、国民運動は任意のボランティアであり、統一行動だとかいわれても強制されるいわれはないのです。あくまでお願いしかできません。

問題意識は持っているのでいろいろ発言や独自の取り組みもしていますが、遅れてきたネトウヨみたいな方々を見かけると、はっと我に返っていく。「おおっと、いかんいかん」と。これ以上は深入りしないと。

いま取り組んでいるアメリカ型の社会につながりかねない政策への問題提起も、いろんな力学が絡む以上、ある程度ブレーキがかけることができれば、よしとするくらいの考えです。もちろん明らかにおかしな動きに対しては、徹底的に反対していきますが、成果主義などを全否定することは現実困難で、昭和の時代に戻せといってもそれは無理でしょう。外的な要因もあって動いているからです。

そもそも自分の職場・職域で、経営者に対してグローバル化や成果主義に基づく労働のあり方を批判できるのかどうか。案外、自分の問題になると沈黙しているのではないでしょうか。

なんかまとまりのないことを書いていますが、あまり熱くなり過ぎず、時々立ち止まって考えたり、寄り道をしながら進んでいくほうが、健康的だろうと思います。
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