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 父が亡くなりました
2015年01月14日 (水) | 編集 |
1月11日午前2時15分に父が亡くなりました。ご多忙中にもかかわらず父の通夜および葬儀に、民主党の野田国義参議院議員や、前福岡県議会議員の江口義明先生はじめ多数の皆様からご会葬くださいました。

鬼木誠衆議院議員(自民党)、緒方寿光柳川市議会議員など自民・民主・公明の国・地方議員の方々、稲村公望中央大学客員教授(元八女郵便局長)、私が連載させていただいておりますフォーネットの発行人、松本靖朗様、月刊日本福岡支局長の浦辺登様はじめ多数弔電もいただきました。とくに野田国義議員は公務ご多忙の中で、ご参列いただき、代表焼香をしていただいております。

いま80歳まで生きるのが平均寿命で、定年制も70までしようとかいわれるなか、あまりに早く旅立ったことに、まだ現実を受け入れることができません。式では、人目もはばからず泣き崩れて、親族やご近所の方々など驚かれたと思います。でも、父との思い出が次々思い起こされてたまらなかったです。

胃がんの手術をしてからの6年余りの闘病生活は、あまり口にはしなかったけれど苦しくつらく、俺は明日まで生きるのか毎日、ベットの上で考えていたと思います。転移もあって入退院を繰り返し、抗がん剤治療を続けていました。「もう一度日本で開かれるオリンピックをみたい」といっていました。

家族を守るために、あまりいろんなことを語らず、年末、救急車で運ばれる少し前「病院には行きたくない」といっていたのは、もう再入院したら・・・とわかっていたのではないか。母にも「病院に泊まってくれ」といっていたのは、不安でしょうがなかったのではないかと。

3年前から就職を機に福岡市に転居して、たまにしか実家に帰っていませんでした。時々、私が書いているものを母を通じて送っていたので、闘病生活の中で丁寧に読んでいたとききました。父の部屋には何冊かの執筆雑誌がおいてありました。 通夜及び葬儀に、同じ町内の方々に受付やお茶くみなどお手伝いいただきましてありがとうございます。

改めまして国、国と言っても、やっぱり自分の家族や生まれ育った地域あってこそで、地域のつながりや出ごとは、都会的にいえば古臭い慣習と思うものかもしれませんが、絆をつなぐものではないか・・・と実感させて戴いた次第です。

火葬場に行く時、途中、実家の周りをまわっていっていただきました。農協経営の葬祭場の方も農家時代の父を知る方で、「すぐやけん、ご自宅に車を回します」といっていただいたのは本当にありがたかった。
地方をつぶすな、農協や郵便局を守るべきだという僕の考え方は間違いなく生まれ育った環境から来ています。市場論理や合理主義だけではないものがある。

しかし、政治のどうのこうの理屈よりも、今はお父さんと目の前で話ができないことが辛いですが、母を支えてまいりたいと思います。通夜及び、葬儀において取り込み中で、不行き届きの点も多々あったかと存じますが、なにとぞご容赦くださいますようお願いいたします。

【訃報】

月刊日本の副編集長の尾崎秀英氏が、一昨日お亡くなりになられたとのお知らせをいただきました。尾崎氏は一昨年、グランドアーク半蔵門で開催された叱咤激励する会で初めて面識を得、移転前の平河町の事務所で名刺交換をしました。

その後、入院され10ヶ月に及ぶ闘病生活を続けられた。

尾崎氏は左右問わず親交が厚い方でした。

本当に残念でなりません。心よりご冥福をお祈りします。


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