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 私の中の二十五年
2005年08月17日 (水) | 編集 |
8月15日の産経新聞3面に三島由紀夫が昭和45年7月7日にサンケイ新聞に寄せた「私の中の二十五年」(『蘭陵王』新潮社<絶版>に収録)が再掲載されていた。今年は三島義挙35周年でもある。

改めて三島さんの言葉に耳を傾けたいと思った。

今まで三島由紀夫、福田恒存や岡潔、エドマンドバークなどのご文章を紹介しようと思いながら、ぐずぐず自分に言い訳してやらなかった。

時代の問題を考えるうえで歴史や先人の言葉、文章に学ぶことは非常に重要なことである。

その第一回として「果たしえてゐない約束―私の中の二十五年」を紹介しよう。産経では、現代表記に変えてあるが、三島さんの文章はもともと旧かな使いなので、原文を紹介することとする。

三島は反全学連の学生組織で講演したときもいっていることだが、みずからが日本を背負っているといった自負を持っていた。

この文章をじっくり読んでみると、いまの日本の姿をある意味預言したといえることがお分かりになられると思う。自分自身を問うことにもつながり、おそらく私もそうだったがじっとしてはおれないだろう。
 
「果たしえてゐない約束―私の中の二十五年」より

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚にいまさらびつくりする。私はほとんど「生きた」とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。 

 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変へはしたが、今もあひかはらずしぶとく生き永らへてゐる。生き永らへてゐるどころか。おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまつた。それは戦後民主主義とそこから生ずる生きた偽善といふおそるべきバチルスである。

 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだらうと考えてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思はれてゐた。私はただ冷笑してゐたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦はなければならない、と感じるやうになつた。


 この二十五年間、認識は私に不幸しかもたらさなかつた。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。なるほど私は小説を書き続けてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作品にとつては、排泄物を積み重ねたのと同じである。その結果賢明になることは断じてない。さうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。
<中略>
 それより気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、といふことである。否定により、批判により、私は何事かを約束してきた筈だ。
 
 政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家に与えうるよりも、もつともつと大きな、もつともつと重要な約束を、私はまだ果たしてゐないといふ思ひに、日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、といふ考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であらうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間を否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らしてきたといふことは、私の久しい心の傷になつてゐる。


 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやつてきたことは、ずいぶん奇矯な企てであつた。まだそれはほとんど十分に理解されてゐない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによつて、その実践によつて文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやらうと思つて来たのである。

<中略>
 二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまったやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに膨大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。
 
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代わりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
 

長く引用したが、三島さんが指摘しているように日本を内部から溶解させてきたのは戦後体制、戦後民主主義である。冷笑主義に覆われてしまい行動することを嘲笑う風潮もそこからきている。まさに「からつぽな、ニュートラルな、中間色の」極東の或る経済的大国の姿はホリエモンの言動そのものではないか。

改めて終戦60年、三島義挙35年にあたりその時代に居合わせた自らを問い直す機会としたい。
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コメント
この記事へのコメント
三島
TB有り難うございました。三島の自殺の意味はなかなか腑に落ちなかったのですが、最近やっと「なるほど」と分かるような気がします。『神々の軍隊』を読んでいて同じような感想を持ちました。つくづく日本は朽ち果てていくように、政治的・文化的言説の座標軸を曲げられてしまったのだなあと。
2005/08/25(木) 19:32:56 | URL | wnm #IMzkuyXI[ 編集]
戦後の退廃は戦後に始まったのではなく、その萌芽はすでに戦前にあったと言って良いと思います。それも既に明治時代から始まっていると私は思います。それがあの鹿鳴館に象徴されているのではないでしょうか。ですから、三島は鹿鳴館の小説を書いたのだと思います。
2005/08/31(水) 10:21:40 | URL | 天下の無法松 #8mKZizKA[ 編集]
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